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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(オ)496号 判決 1984年4月20日

上告人

横内晃

右訴訟代理人

徳矢卓史

徳矢典子

布施裕

被上告人

日本国有鉄道

右代表者総裁

仁杉巖

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人徳矢卓史、同徳矢典子、同布施裕の上告理由第一点について

本件記録によれば、当裁判所第一小法廷は、本件の差戻前の原判決につき、民法二〇〇条二項但書にいう「承継人カ侵奪ノ事実ヲ知リタルトキ」とは、承継人が少なくともなんらかの形での侵奪があつたことについての認識を有していた場合をいい、占有の侵奪のあつたことを単に一つの可能性のある事実として認識していただけでは足りないものと解すべきであり、同判決が認定した程度の上告人の認識のみでは、上告人が未だ本件株券が侵奪されたものであるとの事実を知つていたということはできないとして、被上告人の本件占有回収の訴えを認容した同判決には、右但書の解釈適用を誤つた違法があると判示して、同判決を破棄し、事件を原審に差し戻したものである。右第一小法廷判決の判断の差戻を受けた原審裁判所に対する拘束力の範囲は、右の破棄理由、すなわち、民法二〇〇条二項但書にいう「承継人カ侵奪ノ事実ヲ知リタルトキ」に関する差戻前の原判決の解釈を否定した部分についてのみ生ずるものと解すべきであり、右第一小法廷判決が、本件を原審に差し戻すにあたり、本件においては、盗品の被害者の回復請求の主張があり、その要件の存否についてさらに審理を尽くす必要があると判示していたからといつて、この点に拘束力が生ずるものではない。所論は、独自の見解に基づくものであつて、採用することができない。

同第二点について

原審は、(一) 被上告人は、新日本証券株式会社から本件株券の在中していた小荷物の運送を委託されてその引渡を受けたが、昭和四九年一〇月一九日国鉄名古屋駅構内において何者かによつてこれを窃取された、(二) 上告人は、沖弘と称する者から、本件株券を換金して同人に三〇〇〇万円を融資することを依頼されてこれを承諾したうえ、本件株券を譲り受けてその交付を受け、現に、本件株券のうち原判決末尾添付目録(一)記載の株券については訴外大阪屋証券株式会社を通じ、同目録(二)記載の株券については訴外日興証券株式会社を通じ、それぞれ代理占有しており、同目録(三)記載の株券については自己が直接占有している、(三) 沖弘は、本件株券の盗難に接着して右株券を所持していたものであつて、賍物罪等なんらかの犯罪行為によりこれを取得していたとみられ、上告人においても沖弘が本件株券を不正行為ないしなんらかの犯罪行為により違法に取得した無権利者であることを知つていたか、又は上告人において沖弘が本件株券につき無権利者ないし無権限者ではないかとの疑念を解消する有効な措置を講じなかつた点に重大な過失があつた、との事実を確定した。

そして、原審は、(一) 上告人は民法二〇〇条二項但書の悪意の特定承継人に該当しないから、被上告人の上告人に対する同条の規定に基づく本件株券の返還請求は理由がない、(二) 商法二二九条、小切手法二一条の規定は、民法一九二条ないし一九四条の規定に対して特別法の地位に立ち、したがつて、民法の右規定に対し優先して適用され、かつ、これのみに依拠するのが相当であるから、株券の占有を失つた者は、その取得について悪意又は重大な過失のある所持人に対し、商法二二九条、小切手法二一条の規定によりその株券の返還を請求することができるものと解すべきであるとしたうえ、右各規定に基づく本件株券の返還請求は理由があるものとし、(三) 結局、民法二〇〇条の規定に基づく本件株券の返還請求を棄却した第一審判決を取り消し、商法二二九条、小切手法二一条の規定に基づく本件株券の返還請求を認容している。

しかしながら、商法二二九条、小切手法二一条は、株券の所持人がその取得につき悪意又は重大な過失がある場合には株券上の権利を取得しえない旨を規定したにとどまるものであり、誰が当該株券の返還請求権を有するかについては、商法になんら定めるところがなく、かつ、格別の商慣習法の存在をも認め難いから、民法によつて律すべきところ(商法一条)、民法一九三条によれば、動産に関する盗品の被害者は、同法一九二条所定の善意取得の要件を具えた占有者に対してその物の回復を請求することができるとしているから、同法一九三条は、盗品の被害者が右の要件を具えない占有者に対してその物の返還請求権を有することを当然の前提とした規定であるといわなければならない。したがつて、株券の受寄者がその株券を窃取された場合において、右株券の所持人がその取得につき悪意又は重大な過失があるために商法二二九条、小切手法二一条の規定によりこれを善意取得しえないときは、当該株券の受寄者は、所持人に対し、民法一九三条の規定の趣旨に基づき、盗品の被害者として右株券の返還を求めることができるものと解すべきである。そうすると、原審が確定した前示の事実関係のもとにおいては、上告人は本件株券の取得につき悪意又は重大な過失があるためにこれを善意取得しえないものである以上、民法一九三条の規定の趣旨に基づく本件株券の返還請求は理由があるものとしてこれを認容すべきことが明らかであるから、本件株券の返還請求を認容した原判決は、結局、正当に帰する。論旨は、採用することができない。

同第三点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進 牧圭次)

上告代理人徳矢卓史、同徳矢典子、同布施裕の上告理由

第一点 原判決は被上告人には民法一九三条の適用がないと判断しているにも拘らず、更に進んで商法二二九条、小切手法二一条の適否まで判断したのは、最高裁の昭和五六年三月一九日の判決の拘束力に違背するものであり、到底破棄を免れないものである。

一、前記最高裁の判決は、占有回収の訴における特定承継人が「侵奪の事実を知つて占有を承継したいということができるためには、右承継人が少なくともなんらかの形で侵奪があつたことについての認識を有していたことが必要である」とし、「原判決には、結局、この点につき法令の解釈適用を誤つた違法がある」として、旧原判決を破棄した後「本件においては、盗品の被害者の回復請求の主張があり、その要件の存否についてさらに審理を尽くす必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である」としているのである。

二、ところで、この差し戻しの理由は、盗品の被害者の回復請求(民法一九三条)の要件の存否について審理を尽くすことにあるのであつて、本件原審において審理の結果民法一九三条の適用はないという判断に至つたのであるから、そこで判決を下すべきであつて、更に進んで商法二二九条、小切手法二一条の適用の有無まで判断したのは、前記最高裁の判決の拘束力を超えた違法があり、結局破棄を免れないものと思料する次第である。

三、尚、商法二二九条の準用する小切手法二一条が民法一九二条ないし一九四条の特別法の関係に立ち、したがつて、民法一九三条の適用が排除され、本件においては小切手法二一条が適用されると解すべきであるとするのは今日の通説・判例である(好美清光「注釈民法(7)」九七頁、河本一郎「注釈会社法(3)四一六頁、石井前掲四六頁、鈴木前掲二五四頁、田中前掲三二頁、前田庸「ジュリスト」七三六号一三六頁、東京地判昭和三四・一〇・一二下級民集一〇巻一〇号二一六五頁)。

たとえば、田中教授は「株券は株式流通の円滑化の為に株式を証券に結合したものであり、商法二〇五条二項により株券を所持すればそれだけで一応権利者と認められ、権利はすべて株券の交付だけで譲渡されることとなつたから、全面的に善意取得が認められ(二二九条)、いうまでもなく極度の流通性確保の要請は手形・小切手における善意取得制度の準用となる。占有取得のほか悪意または重過失なきことを要件とする点で、民法上の即時取得の規定(一九二条)の適用を排除するこというまでもなく極端な取引安全の要求は客体が占有委託物であるか占有離脱物であるかで取扱いを異にすることなく、特別な回復を認めるべきではないから、民法一九二条ないし一九四条は適用をみないものというべく、このことは、小切手法二一条が「事由ノ何タルヲ問ハズ小切手ノ占有ヲ失ヒタル者アル場合ニ於テ」という喪失原因のいかんを問わないとする表現によつても明らかであろう。」とされ更に「なるほど、以上、権利の保護の為に証券については民法一九三条の適用をみない特殊な動産として取扱つてきたのである。

株式の権利と離れたたんなる動産としてのみみうる余地があるように思われるかもしれないが、その動産性につき流通性保護の為に特殊性が認められるのであるから、通常動産として取扱うのは妥当でないであろうし、そのことが権利と証券との結合の意味でもあろう。したがつて、株式の権利については商法上の善意取得の適用をうけ、善意取得されないときには、民法上の一九三条の適用をみるとは解しがたい。客体は株券であつて商法の適用をうけ、そこでは善意取得につき占有委託物と占有離脱物とで異なる法的処置に服さずに善意取得の成否を決し、盗品・遺失物についても善意取得できるにも拘らず、盗品・遺失物についてしか認められない民法上の回復請求に服さしめようとすること自体、容認することはできない。

商法上は盗品であつても悪意又は重過失なくして善意取得されることもあれば、盗品でなくても悪意又は重過失にもとづき善意取得できないこともあるのであつて、盗品でかつ悪意又は重過失にもとづき善意取得されない場合にのみ民法上の回復請求権が問題とされると解することには、つよく疑問を感ずる。」(田中前掲三二頁)とされるのである。

第二点 原判決は商法二二九条、小切手法二一条の法律の解釈適用を誤つた違法がある。

一、原判決は、株券の返還請求につき商法第二二九条小切手法第二一条による場合、右株券の受寄者である控訴人が、右法条による返還請求をなしうるか否かについて、「小切手法第二一条は、『小切手ノ占有ヲ失ヒタル者アル場合……之ヲ返還スル義務ヲ負フコトナシ(本文)』、『……此ノ限ニ在ラズ(但書)』と定め、その占有喪失時の小切手(株券)の占有者、ないし、右返還義務を負う場合の相手方について特に限定していないこと、民法第一九三条については、善意取得者に対しても、所有権者に限らず受寄者等において回復請求をなし得るものと解されているが、この理は、株式の善意取得が肯認されず、小切手(株券)を占有するに過ぎない小切手法第二一条但書の場合に、より強く認められて然るべきであること、又、このように解し、受寄者に対する返還を認めても、右返還義務は善意取得のない場合であつて、善意者保護を考慮する要をみないものとして何の不都合もなく、証券の流通保護に欠けるところもないというべきであることからみて、これを肯定するのを正当と考える。」としている。

二、確かに、小切手法二一条(同趣旨の規定である手形法一六条二項)の解釈においてその返還請求権の主体につき直接言及した学説・判例は見当らないようであるが、このことは逆に言えばあまりにも当然のことである為、今日迄問題にならなかつただけのことであり、原判決の解釈は到底是認できるものではない。

三、手形法一六条二項については「旧所持人甲が盗難・遺失等によつて手形の占有を失つた場合にそれを盗み又は拾つた丙とか、甲が丙に手形を預けておいた場合にその委託に反して丙が、その手形を乙に裏書したときの規定」(鈴木竹雄「手形法・小切手法」二五〇頁)であるとか、「善意の取得者が即時に手形権利を取得し、その反面において旧所持人が権利を失うことである。」(大隅健一郎・河本一郎「注釈手形法・小切手法」一八二頁)と説明されている。

ここでは、返還請求し得る者として「旧所持人」という言葉が使われているが、手形法上の所持人とは「正当の所持人すなわち形式的資格(裏書の連続のある手形の所持)ならびに実質的権利を有する者(手形権利者、取立被裏書人、質入被裏書人)」(大隅・河本前掲二八二頁)のことである。

何故「占有」という概念ではなく「所持」という概念が用いられているかについては、「通説によれば、手形の善意取得も動産の善意取得(民一九二条)と全く同一の問題であつて、ただ、その信頼の基礎が動産の占有でなく、裏書の連続する手形の所持であることのほか、善意取得の要件を容易にするとともに、その効果を強化した」(鈴木前掲二五二頁)ものであると説明されている。

四、ところで、手形法において善意取得されるものは証券に表章されている権利であるとするのが今日の通説である(大隅・河本前掲一八二頁、石井前掲五二頁)。

かつては、手形権利の善意取得を説明する為に、手形上の権利(手形債権)と手形所有権(手形証券に対する権利)とを分かち、後者を善意取得することによつて手形上の権利者になるとの理論構成をとるものもあつたが、これに対しては「権利と証券との結合している有価証券として、証券の所持が必要となるが、とくに証券そのものの所有権などを考える必要はなく、又考うべきでもない。

……(中略)……有価証券は……権利の流通化の手段として権利と証券との結合を実現したものであり、証券は権利の流通化の手段としてのものにすぎないものであり、それ自体独立の価値を保有するものではないから、証券そのものについての所有権などを問題とすべきではなく『証券の所持』を問題とすることを要し、かつ、これをもつて足りる」(石井照久「手形法・小切手法」五二、五三頁)という批判があり、これが現在の通説となつているのである。

五、以上を総合すれば明らかなように、原判決のいう小切手法二一条が、占有喪失時の小切手(株券)の占有者、ないし、右返還義務を負う場合の相手方について特に限定していないという解釈が誤りであることは明白である。

つまり、返還請求権を有する者は、善意取得によつて証券上の権利を喪失する者換言すれば、もともと証券上の権利を行使し得る者でなければならないのである。

本件の被上告人は株券を「物」として占有しているだけであつて、株券上の権利を有していたのではないのである。

被上告人は本件株券がたとえ善意取得されても「株券上の権利」を喪失するわけではなく、本件においては、ただ単に株券の占有を喪失しただけであるから、被上告人には商法二二九条、小切手法二一条による返還請求権は与えられていないと言うべきである。

このことは、被害者が所有者でないときに被害回復の機会を失う危険にさらすと非難されるかもしれないが、商法上の流通性確保の要請は、あくまでも原権利者と善意取得者の利益の調和点を特別な回復請求権の不行使にもとめ、ましてもとの占有代理人による回復請求を認めないのであるというべきである(田中整爾「判例評論」二七三号三二頁)。

六、又、商法二二九条の準用する小切手法二一条と民法二〇〇条との関係については「株券の取得者は商法二二九条の準用する小切手法二一条本文の適用により、それを善意取得した場合には、株主たる地位を取得するから民法二〇〇条の適用の余地がなくなる。これに対して、株券の取得者に……善意取得が認められなかつた場合には、株券取得者に対する株券の返還請求権の行使が問題になるが、その請求権行使の根拠は、その請求が所有権等の本権に基づく場合と占有権に基づく場合とによつて、異なると考える。すなわちたとえば所有権者は所有権に基づく返還の請求をすることができるのに対して、占有権者は民法二〇〇条に基づく占有回収の訴を提起できることになる。そして、占有侵奪者からの承継人に対する返還請求権の行使についてみると、所有権に基づく返還請求と占有権に基づく占有回収の訴とを比較すると、前者の場合には、商法二二九条の準用する小切手法二一条により取得者が善意であつても重過失があれば返還請求の訴が認められるのに対して、後者の場合には、民法二〇〇条二項により、取得者が善意であればその者に重過失があつても返還請求が認められないという点に差異が生ずることになる。

この点を本件についてみると、

X(被上告人)は、その株券の運送人として受寄者にすぎないから、Xが請求する以上は、民法二〇〇条二項により、Y(上告人)の悪意を立証しなければならないと考えられる」(前田庸「ジュリスト」七三六号一三六頁)と説明されている。

七、よつて、被上告人が有する返還請求権は民法二〇〇条(占有回収の訴)に基づくものしかあり得ずこの訴に基づく限り、上告人に悪意のない本件においては、被上告人の本訴請求は認められないというべきである。

第三点 原判決には重大なる事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるので到底破棄は免れないと思料する。

一、本件において上告人に重過失があつたか否か(悪意でないことは原判決も認めるところである。)が問題とならないことは前述したが、原判決は上告人の重過失を認定しているので以下これに対する反論を述べる。

二、原判決は上告人が「沖からの事前連絡により、同人が多量・多額の有銘株券をもつて東洋商事を訪れることを知り、その取引を予定して金策の準備にかかつていたものである」と認定しているが、時刻についてはよほどの根拠がない限り一、二時間のずれがあること、東洋商事と宝塚の逆瀬川の間を四〇分余りで往復することは困難とはいえ絶対不可能なことではないこと、山内の銀行通帳で二〇〇万円が二〇日ではなく二一日に出たことを理由とするのは上告人が事前に「金策の準備にかかつていた」との原判決の認定とは矛盾すること、及び本件株券の時価を概算するには小さな端株を除き一、〇〇〇株券、五〇〇株券単位で大体の目安をつけて計算すればよい(たとえば株式一覧表番号Ⅰの三菱鉱業株式会社の株についていえば一、〇〇〇株券一五枚、五〇〇株券一枚、一〇〇株券六枚、その他一六枚であるから約一六、〇〇〇株として計算すればよい)のであるからその計算に要する時間も二〇乃至三〇分もあれば充分であること(尚、乙第六号証中、上告人が計算に二、三時間を要した旨供述しているが、これは警察における取調べという異常事態の下での供述であり、警察官に対し若干迎合的な供述をしていたのではないかとの疑念がもたれ、たやすく措信しがたいものである。)から、原判決の認定の根拠が薄弱であることは明白である。

むしろ、約三、五〇〇万円相当の株券に対し即日現金で一、五〇〇万円を、三日後に更に現金で一、〇〇〇万円交付し残り五〇〇万は株が売却できた後に精算する約束であつたことは、かかる金融方法としては妥当な範囲であり、もし、上告人が本件株券が何らかの犯罪行為によつて得られたものであると認識していたならば、評価額の半値以下の金額で話を進めていたものと思われるのである。

しかも、上告人はこれらの金員の調達方法について、複数の者から調達した旨供述しているが、原判決のいうように上告人が事前に沖の来訪及び目的を知つていて何らかの犯罪行為により取得された株券であると認識して、事前に資金調達をしたとすればあらかじめ警察での取調べを予想して各貸与者と口裏を合わせて一人から調達したとする(その方が時間の説明がつきやすい)とか、時刻や金額を正確にし、しかもきちんと借用書を作成しておくはずであるのに、現実には各貸与者との間で微妙な点で供述が食い違い、借用書も作成していないのであつて、事前の準備などが一切なかつたことがうかがわれるのである。

又、沖弘と上告人との約束が金三、〇〇〇万円であつたにも拘らず、金二、五〇〇万円しか交付していないことも上告人が実際に急いで金策をした事実を裏付けるものである。もし上告人が事前ないし事後工作をしたとすれば二回目で予定通り残金一、五〇〇万円を支払つたと言えば済むことであつて、その方が領収証(乙第三号証)の金額とも合致するにも拘らず、残り五〇〇万円「株が売却できた後に精算することで辛抱いただきたい」(甲第五六号証の二、一六丁裏八行目乃至一七丁表一行目)などというまわりくどい話をしているのである。

三、又、窃盗事件の犯人達が事件前より予め賍品の処分に備え、賍品処分の際に相手方を信用させ、且つ、犯跡を隠蔽する為、名和物産株式会社が大阪市内に電話付事務所を持つて実在の会社で沖弘なる人物が同社の従業員である如く偽装する等、綿密周到なる事前工作を施しており、上告人に対する株券の処分に当つてもこれにより偽計が用いられているのであるから、上告人にこれを見破ることを期待するのは無理である。

更に、上告人は沖弘から受領した「名和物産株式会社沖弘」なる名刺に記載してあつた電話番号に電話をかけ、名和物産株式会社及び沖弘の存在を確認しているのであるから上告人には重過失はないといわなければならない。

四、尚、右に関連して原判決は上告人の人物確認の電話が午前中になされたとみるのは困難であるとしているが、岡野幸子の供述調書(甲第二九号証)によれば、沖弘から株式会社ロイヤルに一〇月二〇日の昼過頃電話がかかつてきた時、応待に出た岡野連絡メモ(甲第二八号証)を見た時には何の記載もなかつたが、「後で判つたのですが、この電話がかかる前に東洋商事から沖宛に電話がかかつてきて当時私方に勤めていた中井寛子が応待に出たのですが、この東洋商事からかかつてきたのを、まだ、このメモ帳に記載していなかつた」のである(甲第二九号証四丁表四行目乃至一一行目)これから判断すると岡野が一〇月二〇日の昼過頃沖弘から電話を受けた時以前に、東洋商事からかかつてきていた電話を中井寛子は連絡メモに記入していなかつたことがわかるのである。そうすると中井寛子はかかつてきた電話をその都度遂一連絡メモに記入していたわけではないと考えられ、従つてメモに記入していないことからみて東洋商事が最初に沖弘の会社を確認すべく電話をかけた時刻が昼頃だとする中井の供述は措信しうるものでないといえるのである。

つまり、貸電話を業務とする会社の従業員である中井が多数に亘る客又はその関係者からかかつてきた電話の時刻をメモもないのに正確に記憶していると考えられないのであつて、岡野の供述の方が正しく、上告人は当日の午前中に名和物産株式会社及び沖弘の存在確認の為の電話をかけていることは間違いないのである。

五、原判決は「刑事判決における有罪無罪の結論及びその理由中における判断事項は、直ちにそれに関係した者の民事上の義務の成否に影響を及ぼすものではない」として、菊地清に対して昭和五三年三月二九日名古屋高等裁判所において無罪の判決が言渡され確定している(乙第九号証)ことが、上告人の重過失の認定を妨げる事情とすることはできないと断じている。

しかし、刑事事件の判決が直ちに民事事件の判断を左右するものでないことは確かであるが、本件の場合、第一審及び旧原審においては、菊地清と沖弘とが同一人物であるとの大前提のもとに判決がなされているにも拘らず、その後になされた前記名古屋高裁においては、上告人を訪れた自称沖弘なる人物が菊地清であつたと断定するだけの十分な証拠がないこと、仮に、沖弘なる人物が菊地清であつたとしても、本件では犯行時刻から一〇数時間も経過した後に、しかも犯行場所からも遠く離れた大阪市内において自称沖弘なる人物が賍物である株券を所持していたというのであり、又菊地清以外にも他に犯人がいた可能性も十分考えられるので、自称沖弘なる人物が右賍物を所持していたという一事でもつて、直ちに菊地清が本件窃盗犯人であるとか、その共犯者であると速断するわけにもいかないという認定がなされ、結局無罪の言渡がなされているのであるから、この判決が全く本件の事実認定に影響がないとするのは早計に過ぎると考えられるのである。

六、以上の事実を総合すれば、上告人に本件株券取得に際し重過失があつたとする原判決は重大なる事実誤認であり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、到底破棄を免れないものと思料する次第である。

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